PROFILE

プロフィール

川越康史 かわごえ やすふみ

かわごえやすふみ

川越康史

国民民主党 宮崎県第1区総支部 幹事長

1978年3月16日生まれ
妻、長女(大学生)、長男(高校生)、豆柴(黒)の5人暮らしです。

宮崎市消防団赤江分団第7部

楽器演奏(ドラム・カホン)

「運命を拓く」
「盛大な人生」
「叡智のひびき」
「菜根譚」
「公益資本主義」
「公共貨幣入門」

「蒼天航路」
「キングダム」
「ゴルゴ13」
「ワンピース」
「藤子F不二夫 SF短編集」
人間万事塞翁が馬
NEWS

お知らせ

こくみんうさぎ_えいえいおー
POLICY

主な政策

手取りを増やす。頑張った人の努力が笑顔に変わる宮崎へ。物質的な豊かさだけでなく、精神的な充足感を重視する社会へと進化する。人とテクノロジー、人と自然とが調和する共生社会へ、暮らしやすさ日本一。

かわごえやすふみ が、みなさんと創る12の政策!

1.手取りを増やす!

豊かに経済活動ができる社会へ

2.地域共生!

みんなが笑顔に心の充足感を重視する社会へ

3.テクノロジーの積極的活用!

人と自然と技術が調和する社会へ

4.医療・介護・福祉のサービス維持!

自分の意思で「生きる」を選べる社会へ

5.子育て支援制度をもっと使いやすく!

家族の笑顔があふれる社会へ

6.インクルーシブ教育をもっと身近に!

選択肢の多い社会へ

7.食料自給力のUP!

自分の食べ物は自分の国で作れる社会へ

8.あんしん安全な食材で健康に!

環境問題を配慮、医食同源で健康あふれる社会へ

9.エネルギーは地産地消!

多様なエネルギー源をつかいこなせる社会へ

10.神話の源流みやざき最発見!

IPコンテンツは世界一、温故知新。伝統を敬う社会へ

11.スポーツで生涯現役!

みんなで楽しくスポーツが楽しめる社会へ

12.みんなで減災活動!

多様な防災、減災活動が身近になる社会へ
具体的には

少子高齢化と労働力不足への対応

人間と技術の協働を軸にした働き方改革

政策

AIやロボット技術を活用した「ケアテック」の推進と、高齢者の社会参画を支える仕組みの構築。

詳細

高齢者介護や育児支援など、福祉の現場にロボティクスを導入し、従事者の業務負担を軽減する。(ヒューマノイドの積極的導入)

同時に、高齢者が生涯学習やリモートワークを通じて社会に貢献できる プラット フォームを整備する。

AIが個人のスキルや健康状態に応じた仕事マッチングを行い、企業側も柔軟な雇 用形態を採用するインセンティブを提供する。

食料自給力向上への対応

自然と技術の共生を目指した持続可能な農業政策

政策

地域単位での再生可能エネルギー活用と、デジタル技術を駆使した農業システムの導入。

詳細

米作に対する基本的収入補償を強化する。農地の基盤整備を総合的に実施し、生産性と耕地利用率の向上を目指す。麦や大豆などの戦略作物の生産に関する支援を強化する。現在の価格政策から所得政策へシフトチェンジ。

太陽光発電などの自然エネルギーを活用しスマートグリッドで電力需給を最適化。IoTを活用してドローンやGPSトラクター、ロボット草刈り機等、更なるスマート農業技術の導入を支援する。

減災計画による災害に強いみやざきへ

政策

技術革新と自然資源を活用し、持続可能な地域社会を築く

詳細

南海トラフ地震対応を踏まえた減災計画の具体策。

技術革新と住民参加による「自律型減災システム」の高度化。

津波避難シミュレーションアプリを開発し、住民が自宅や職場から最寄りの高台への避難経路を事前に確認可能に。観光客向け多言語対応。

地域資源を活用した「津波・耐震インフラ」の強化。

沿岸部の津波避難タワーや高台避難所の増設。森林資源を活用した耐震補強材(木造耐震シェルター)の開発・配備。

自然と技術が融合し、「自然社会」への適応力を高める。耐震技術の進化を地域資源で補完。

事前復興計画として、被災想定地域の再建優先順位(病院、学校、農地など)を策定。

観光みやざき再発見

人と自然が調和した魅力ある観光政策

政策

スポーツランドみやざきの更なる進化、自然と文化を融合させ、その魅力 を世界に発信する。

詳細

スポーツファンと文化愛好家の両方を惹きつけ「スポーツランドみやざき」と「地域伝統神楽」スポーツイベントと伝統芸能を組み合わせることで、他県との差別化が図れ、宮崎ならではの魅力を世界に発信する。

プロ野球やJリーグのキャンプと神話と結びついた、神秘的かつ文化的価値が高い神楽を融合させることで、観光客に「動」と「静」の両方を楽しめる体験を提供する。

CAREER

実績とこれまでのキャリア

これまでの主な職歴/役職

医療法人 徳洲会 大阪本部 総務部人事課
医療法人 徳洲会八尾徳洲会総合病院 医事課 副主任
一般財団法人潤和リハビリテーション振興財団 総務人事部主任
一般財団法人潤和リハビリテーション振興財団 潤和会記念病院 医事部長
一般財団法人潤和リハビリテーション振興財団 介護老人保健施設ひむか苑 事務長
宮崎県老人保健施設協会 事務局長

これまでの主な外部委員

宮崎県介護現場革新会議委員
宮崎県医療介護連携推進協議会委員
宮崎県医科歯科連携推進協議会委員
宮崎県歯科保健推進協議会委員
宮崎県災害福祉支援ネットワーク協議会委員
宮崎県国保連合会介護給付費等審査委員
宮崎市社会福祉審議会委員
宮崎市地域包括支援センター運営協議会委員
厚生労働省 介護ロボット開発・実証・普及プラットフォーム事業推進協議会委員

社会人~

時は就職氷河期。大学で学んだ知識を活かせる職場の求人はなし。先輩達が就職した企業からの求人もなし。キャンパス内の掲示板にもほとんど求人が無い状況でした。そんな中、行政、マスコミ、JA、出版社など、採用試験をとにかく受けましたが、不採用の連続。何とか内定を貰えたのが、全くの専門外である医療法人徳洲会でした。大学院に進学したり、公務員専門学校に進む同級生も沢山いましたが、私は奨学金を借りていた手前、返済が始まるため就職一択でした。鹿児島から大阪へ、社会人1年目のスタートでした。

徳洲会大阪本部に配属され、徳田虎雄理事長から、直接辞令を頂いた最後の世代でした。独身寮は、何と徳田理事長のご自宅をルームシェアリングする事となり、徳田理事長との出会いが私の人生の最初の転換点となりました。徳洲会では様々な地域での新規病院立ち上げや、医師採用で全国を飛び回り、四国、東北以外の都道府県をほぼ周る事となりました。
チームマネジメント、プレゼンテーション、損益計算など、多くを実践の中で学びました。

結婚後、宮崎に帰郷し、一般財団法人潤和リハビリテーション振興財団に就職。大野理事長との出会いが更なる人生の転換点となります。厳しさの中にも愛がありました。徳洲会の経験を基に、新規の医療制度の導入や人事制度の見直しなど、様々なプロジェクトを任され、忙しくとも充実した日々でした。特に5つのお金のお話は忘れません。そんな中、大野理事長が後援会長を務めていた河野俊嗣宮崎県知事の政務秘書の話が舞い込んでくるのです。

この知事秘書の経験が、私が政治家を目指す大きな契機の一つとなりました。

BEGINNINGS

原点となった学生時代

【大学生時代】

2000年 鹿児島大学 水産学部海洋社会科学科 卒業

水産政策学や流通経済、付属練習船「かごしま丸」での錦江湾での水質環境調査など、幅広い分野を学びました。フィールドワークが多く、県内外の様々な地域に赴き、人と出会い実践を通して多くの事を学びました。

また、バンドとアルバイトにも明け暮れました。毎月の様に天文館のライブハウスで演奏。The Yellow Monkeyのカバー、オリジナル楽曲の作成を行い、自身をロックスターと勘違い。

アルバイトでは川内原子力発電所へ小学生を引率、TV局の撮影補助や、ドラマの鹿児島ロケでのエキストラ出演など、人材派遣会社で様々な現場や職種を経験しました。仲間にも恵まれた充実した4年間。

【高校生時代】

1996年 宮崎県立宮崎南高校卒業

剣道部に在籍。正に文武両道の学校生活。二度と戻りたくないと思う程、課外や模試に追われた3年間。濃すぎる3年間。

思い出は体育祭と文化祭を同時期に開催する、南校の一大イベント「鵬祭」文化祭ではバンド出場。じゃんけんに負け「ギター」でなく「ドラマー」に。ここから、空間の雰囲気を左右するドラムの魅力に目覚めました。

【中学生時代】

1993年 宮崎市立本郷中学校卒業

剣道部に在籍。中体連県大会常連校の鬼稽古で強い精神力が養われました。当時の苦楽を共にした先輩、後輩も「稽古より辛いことは今でもそうない。」という程。

3年生の文化祭では「ロミオとジュリエット」にてロミオ役に。どの役にも手を挙げなかったため、主役に。。。本番は以外と緊張せずに楽しめた事を覚えています。背景から小道具の作成まですべて生徒が担当し、クラス全員がまとまって一つの演劇を作り上げられた事は忘れられない思い出です。

【小学生時代】

1990年 宮崎市立国富小学校卒業

祖父、父、私、子供達と4代続いて同じ小学校を卒業。創立150年を超える歴史のある小学校。

運動会で全校リレーに選ばれたり、陸上教室で走り幅跳びで選抜されたりと、運動大好き活発な少年でした。元気があり余り、近くの山や田んぼを駆け回っていました。頭部を2針以上縫う怪我をして大流血した事も。5年生の時にサッカーをしたかったのですが、祖母に強く勧められ、剣道道場(宮崎洗心館)に入門しました。